Remember(ブログ更新です)
こんにちは、柴見です。ただいま絶賛七転八倒なう。文フリの小説中々うまくいきません。世の中すんなり成せることなんてない。なのでまだまだ無理してもがきます。
毎日ブログを書くと決めてからしばらく。毎日年がら年中ネタが転がってるものでもないので書く内容に悩み始めてます。いや、生きていて何もないというわけではなく、それをいかに面白おかしく書くかとなると別物になるわけで。単に起きた出来事羅列するだけじゃ誰も見に来なくなるでしょう。それは困る。とりあえず今日はモニタの前でうんうん唸ってるだけに終わった一日でした。
そういえば今日ネット小説大賞の一次通過の発表があったそうで。通過した皆様おめでとうございます。二次、最終と突破出来る人が一人でも多くいらっしゃれば励みになります。頑張ってください。
自分も後回しにしてた公募原稿の完成を急ぎたいところですがまずは文フリの同人原稿です。これをクリアしないと多分この先何も出来ないまま終わるでしょう。これは必須の壁なのです。さてどうしてくれよう。とはいえまだアイデアがあるだけで物語の時系列も出来てないのですが。
創作でしんどい時期が続くと、好きでやり始めたことがつらくなりますね。楽しくて始めたことなのに。大抵そういう場合、目的が当初とすり替わっていることが多いかなと思います。
ただ自分の中で研鑽を積み、技を磨くだけだったものが評価という対象になり、周りの目が気になり始める。気がつけばポイントや評価数を稼ぐ事に必死になっている……でもそうじゃないじゃん? 最初はどういう気持ちで物語を作ってきた? 点数をもらうため? ポイントがほしいから? 高く評価してもらいたい?
そりゃ誰だって評価してもらえれば嬉しくなります。しかし自分より高く評価されている作品や作者がどんどんと気になり始める。時々自分もそうなります。周りと比べ、明らかに読まれてない、何が面白くないのか、誰の何がどう面白いのか。点数だけで見てしまう。まあそれが一番分かりやすいメーターですから、依存してしまうのも無理はない。
しかしそこに劣等感を感じたところで何になるのか。自戒の意味でも書きます、それに潰されそうになっていること自体、とてもナンセンスな、場違いな戦い方をしているのです。とてもつまらない。
そんな恨み辛み妬みで書いた物語が面白いもののはずがない。それ以前に、自分に備わっている機能をもっと自分で誇るべきです。つい最高クラスと比べてしまい、落ち込んでしまいがちですが、そんな人たちは自分の何倍もの努力や苦労を重ねてる。それに引き換え自分は何をした? ただ平常運転しているだけで、何故そんなトップクラスと肩を並べられると思い上がったのでしょうか。
自分にだけ備わっているものは誰にだってあります。それが『華』です。『華』はどこかしら作品に現れます。しかしそれが感じられないものになっているとしたら、自分の機能を見失っている状態といえるでしょう。
一度でも感想をもらったことはないか? そもそも読んでもらえること自体が奇跡ではないだろうか? それを引き寄せたのは、間違いない自分の実力。『華』です。今は優劣に目がくらみ隠れているだけ。
最初の一声を思い出しましょう。かけてもらた、たった一言の感想が、何百という評価をひっくり返すほど嬉しかった。その感覚を、思い出しましょう。結果何も得られず何者にもなれず終わっていく。もしそうだとしても。それしかないのだとしても。
書くことを止めないことが、書かざるをえないことが、書くことしか選べないことが、個人個人に芽吹く『華』だと思います。まあ普通に暮らしてればストレスにならない悩みです。イヤなら止めてしまえばいい。だけど文を綴ることを選んだ。
それこそが、それ自体が自分だけに備わった機能だと思います。負け戦がどうしましたか。それで止めてしまうほど、自身に宿る『華』はたやすく枯れたりはしないのです。
この世界は素晴らしい。戦う価値がある。
ヘミングウェイの言葉です。価値はあるんです。素晴らしい世界にいるから、『華』を持つ事ができるんです。例え『華』を感じられなくなってたとしても、最初にかけてもらえた言葉を思い出しましょう。それは事実となり歴史となり、自らを裏切ることのない誇りとなる。
ついレベルの高いところばかりが目に入っているから忘れてしまいがちですが、誰にだってある『華』なのです。それがあることを見失わず、一歩一歩を確実にいきたいものですね。
何やら青臭いというか意味不明なことを書いてしまいましたが、今回は柴見が自分の心を整理整頓するためのアウトプットだとスルーしてください。言葉にしてみないと、自分自身も分からなくなることがありますので。完璧を目指しても、完全にはなれない。人間はだから進歩できる。一歩前の自分を超えられる。一行前の自分を凌駕する。始まりがあったこと自体が、尽きることのない燃料を与えてくれるのです。修羅道でもいいじゃないんですか。そんなもので消えるほど、咲いた『華』はもろくないのですから。
痛みもあります、苦しいこともあります。しかしそれで終わるものではありません。自らに宿った最初の気持ちは。
そんなわけで、ある程度まとまったところで終わりとします。……まとまってるかな。
レッツ創作ライフ!
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