灰皿は借りたまま。(ブログ更新です)

ここ数日。気分は最悪だった。プライベートで色々あり、他でも忙しく、また創作方面でもバタバタし、苛立たしくもあり、それはそれでいいのだが。
今は免許の更新のため実家の神戸に帰る新幹線の中だ。とりあえず落ち着いたので、ここ二、三日のもやもやを文章にして落ち着けたい。

事の発端は、彼の死について。自殺だった。
自分には唐突すぎた。聞かされたのはもう納骨も終わり喪中の挨拶を出そうかというところだった。
まあ、それ程彼と親しかったわけではない。つるむわけでもなく、たまにネット越しに彼の作品を閲覧するだけだ。
それに短いコメントをそえて、それで終わり。そんな仲。知人。言うならその程度止まりたまろう。
だが、彼が他界したという知らせを、自分に知らされていなかったという事実がまずショックだった。
前述の人間程度にわざわざ詳細をよこすかと言われれば、全くその通りである。
これはあくまで自分が勝手にショックを受けに行ってるだけにしか過ぎない。間抜けな話なのだ。
だが、創作において、間違いなく一点の基軸になりえた存在だった。それがなくなってしまったことに何か、張り合いをなくしてしまった気分だった。

これがプライベート。精神的にズタズタだった。そこへちと、やや内輪揉め?のようなもの。
正直嫌気がさしていたのは確かだ。イラついていたので、何かにつけて攻撃していただろう。まだ自分は幼稚なのだ。開き直ってやる(今の所は)。
しかし2日も3日も腐ってたら自分から嫌になった。これもよくある事だった。身勝手この上ないが、リフレッシュするにはまず腐らなきゃならない。
この点に関しては、固くなった頭を切り替えるには問題なかった。腐ってる間に勝手に緩んだのか。
事これに関しては、周りに恵まれている、いう柴見の特殊能力だ。もしこれにもたれかかっていて、バチが当たるとしたら、多分即死する。
周囲を取り巻く環境が生かしてくれている。そう考え深呼吸すると、荒かった息も多少はマシになる。あとは自分次第。 
何をなすにせよ、はじめの一歩は自分の意思でなくてはならない。
苛立ちとか、敵意とか反動ではなく、時にはそういうのもありだけど、この二、三日でまだ扱いきれないのがよくわかった。自分には向いてない。
来るかどうかわからない向い風にビクついたままではなく。
時々進んで、たまに休んで、また歩く。

これから下半期に入り、創作活動を本格化させねばならない。公募原稿や同人誌、新たな試みの委託販売方式や色々、やってみないと分からない事が多い。やる価値がある。
そんなわけで、へんなつまずき方して他のアクシデントまで巻き込んで勝手に被害妄想膨らませてる暇はない。

なので、少し早いがお彼岸の言葉を彼に捧げたいと思う。向こうからすれば何の事やらだろうが、こちらからは伝えねばならない事がある。
自分の中にあるもやもやを全部乗せて、無関係なことも含めて。 



ばーーーか。

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