Web小説書いてました。(ブログ更新です)
こんにちは、柴見です。ブログご無沙汰。
うつの症状から脱出した後、しばらくゴリゴリとWeb掲載の短期連載用の小説を書いていました。出来れば昨日の内にブログで書いてれば格好が付いたのですが、まあご愛敬。小説はこちらから↓
Web小説サイト『カクヨム』様に投稿させていただきました。書いてた期間は12月の18日から25日までで、実際のクリスマスと連動するように連載を更新、という形をとってみました。まあ、閲覧数は少なかったのでどれほど効果があったか分かりませんでしたが(笑)。
タイトルは『ギフト』と名付け、今年のクリスマスの期間にだけ書いて公表しようというもので、『カクヨム』の近況ノートにも書きましたが、彼らの物語はこれで終わり、続きや過去話を書く予定はありません。本来はこうしてリンクも張るのもちょっと格好つかないなーと思うぐらいで。宣伝も昨日までで終わりのつもりでしたし。
まあそんな未練がこもったブログでしたが、久しぶりに文章書いたので、その報告と言いますか。一足遅れたクリスマスでした(笑)。
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クリスマスが終わると一気に年末気分になりますね。正月気分といいますか。それは好きです。断捨離感ある。今年は二年半ぶりに実家に帰省するので、正月はのんびり実家で過ごします。のんびり出来れば。心配なのは体調面や家族との間に溝が生まれてないかどうか、ですかね。今年は色々と割り切れてきた年だったので。多分諍い(いさかい)はあるんじゃないかと思います。でもこちらも命がけ、譲るわけにはいかないものも出来てきました。
決別の一年になるかもしれない、とやや不安に思う部分もあります。でも仕方ないかな。
もう後がないのです。一歩でも下がれば後は崖から落ちて死ぬ。そんな所まで来てしまったのです。本当に死んでしまうのです。それが自殺になるかどうかも分かりませんが、間違いなく、その時は「柴見流一郎」という個性は崩壊、死亡し二度と文章など生み出せなくなるでしょう。それは、とても耐えがたいことであり、以前ならそんなことになるぐらいだったら、身を引いて……とも考えていました。
ですが、今は違います。何故こちらが身を引かなくてはならないのでしょうか。
何故反対の声を上げてはならないのでしょうか。
何故身を引いて、自分だけしんどけらばいいとしなくてはならないのでしょうか。
そう考えることが多くなり、渦巻き、やがて段々肥大化していき、「抵抗する」という選択を選ぶこともしなくてはならない、と思うようになりました。
自分を殺してばかり生きてきたこれまで。何故そんなことをしなくてはならなかったのか。周りからはそれが「優しい」と捉えられていたようですが、どうも自分も周りも勘違いしているようでしたね。自分は自分です。生きて行くために生きるのです。なら、生きて行くために抵抗せざるを得ない場面も出てくるでしょう。例えそれが親族であってもです。
まあ一言でまとめると「当方に迎撃の用意有り」ってやつですね。
ずいぶん話が脱線しました。でも書いてというかはき出してスッキリした。安心して実家に帰れそう。
まあ、こっちに戻っても、どこかが壊れて戻ってきてるんでしょうね。人間関係か、心か、経歴か。
そうなればいっそすがすがしいと思います。そんな新年、正直憂鬱ですけど。
はぁー……。実家帰ったら煙草、ベランダでしか吸わないことにしてるんです。これは自分で決めたこと。臭いとかがうつるから。実家の部屋は自分のモノ以外であふれていますので。それぐらいかな、面倒なのは。
……帰るの、面倒臭くなってきた(笑)。ダメジャン!
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